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あるお寺の住職の説法
『人の死には2つある。1つは肉体の死。もう1つは皆さんの記憶から消えた時。皆さんの中(記憶や想い)にいらっしゃる間は生きていらっしゃるのです。』
と30数年前、祖母の法事で聞いた。
はじめてお会いしたのは、年明け早々のまだまだ寒い日が続く日
同法人内他事業所からの紹介。事前にご連絡を取り、本日訪問となった。
電話では【福祉用具】と【リハビリテーション】のご相談だった。
ご自身で事前にいろいろとお調べになっており、病院での説明も相まって介護サービスに過度な期待が集まっていた。
介護サービスを利用すれば、退院前と同じ様に動ける、と。
ご自宅のリビングに通され、対面でご本人と面談する。1つ1つ自分なりに丁寧に説明する。特に福祉用具に関してはケアマネージャーの知識を超え専門用具が飛び出す。さらに通所系サービスについても有資格者の有無、リハビリテーションについては専門性の高いところを希望された。
近隣事業所の資料を提示しながら説明するも「こんなの・・・」と、ご本人の期待を大きく裏切る事からはじまった。
福祉用具に関して事業者を選定。担当者、即日訪問。担当者に対し矢継ぎ早に質問が飛び交う。1つ1つ丁寧に担当者が説明。用具も決まり納品の段となった。担当者は、その後も大変だった。カタログを渡した事でいろいろな用具について質問が飛び交った。専門性が高く、担当者自身も再確認・勉強になった。と
通所サービス事業者については、数か所ご本人が目星を付けたところを見学する事となった。
1番最初に当法人の通所介護事業所を見学された。
感想をお聞きすると「あんなものだよね。行きたくないが行くしかないね。あまり乗り気はしていない。あまりにも聞いていたのと違うし自分で思っていたのとかけ離れ過ぎている。」と諦めにも似た表情で現実を知った後は最初の印象より弱々しく感じた。それでも医師から言われた週2日の通所介護は続けた。
その年の8月、上籠谷デイサービス‘レザンテラス’がOPEN!
ご本人も楽しみの待ち望んでいた。しかし、約半年通った上籠谷デイサービスセンターも
「う~ん、最初は・・・そう思っていたし、今もそんなに行きたいというほどじゃないけど、愛着はあるよな。」と
当面、上籠谷デイサービスセンターと上籠谷デイサービス‘レザンテラス’を併用する事となった。
当時、既往歴から無動(体が突然動かなくなる)となる事があり「情けない・・・」と嘆かれていた。
力も弱くなり、趣味である居合道が出来ない。木刀は持てるが一番軽いものでも支えていられないし握っていられない。それが半年間、はじめは半信半疑だった運動も僅かながら出来る事が増え、レザンテラスが出来た頃には杖は必要だが転倒する事なく移動する事が出来るようになり、素振りはまだ難しかったが木刀を振り上げる事は出来るようになってきていた。すると、次第に利用日が増えて行った。ご自宅にモニタリングで訪問した際、この時の喜びようは初めの頃の不機嫌そうな不満足そうな怪訝そうな顔はどこにもなかった。
何より上籠谷デイサービス’レザンテラス’での個別機能訓練の時に【居合】の練習をする事に。
えっ?い、居合?木刀を振る? ちょ、ちょっと困ります・・・
これが、普通の感覚かと思います。ですが、レザンテラスはスタッフが話合い、他の利用者様の安全を確保した上で実施する事に踏み切りました。もちろん初の試みですから、ご本人とスタッフが話し合ってお互いにアイデアを出し合って実施してきました。ケアプランにも「剣道ができる」と記載。
お昼過ぎ、頃合いに機能訓練指導員がお声掛けする。‘応!’と答える。
ご本人と機能訓練指導員が木刀を携えレザンテラスの南テラスに出る。
他の利用者様も窓越しカーテン越しに2人の様子を伺う。
「何やってんだろうね。」「剣道?」「いつもいつもスゴイね。」など注目されていました。この頃、レザンテラスの機能訓練室にある器具類はあまり利用されていませんでした。しかし、ご本人はデイサービスで入浴されない事もあり余った時間帯はチェストプレスやレッグプレス、エアロバイクなど機能訓練室を存分にご利用されていました。むろん、この様なお姿は他のご利用者様の刺激になりました。
やればできる!
ご年齢や疾患による麻痺、拘縮などを理由に運動がおざなりになっていた方々の刺激になり、徐々に「自分もやってみようかな?」と興味を示され、機能訓練室は瞬く間に多くのご利用者様がご活用いただけるようにレザンテラス第2のホールになっていきました。
先生・親分・親方・・・
他の利用者様がご本人をそう呼ぶ。ご本人もまんざらではない。
当法人で公開している[ブログ]や[インスタグラム]を見ては喜び、離れて住むご子息に自慢していた。「父は目立ちがり屋なんです。」とご家族は言う。時には作成している職員に直接「この前、撮った写真はまだかい?」「あの写真、そうこの前の。あれ、載せてくれないかな?」など、いつも楽しんで見ていただいていた。
昨年の初夏よりレザンテラスのホールで剣武会と称し‘型’を機能訓練指導員と共にレクリエーションの一環として披露する様になるとスタッフに「こっちからも撮ってくれ。」「動画、撮れない?」「いつ頃(ブログやインスタグラムに)載る?」など、仲間同士での会合が実質なくなった今では上籠谷デイサービス’レザンテラス’がご本人の楽しみだった。
利用者様の中で「やってみたい。」とおっしゃる方もおり、皆で話し合いまずは「やってみよう!」と試行錯誤しながらもワイワイと活気に溢れていました。ご本人から「発病する前より(体の動きは)良くなっているよ。」と
その様な矢先・・・
既往疾患の再発が発覚。発見が早かった事もあり対処法にて対応。年に2回の入退院。病院からも「強い衝撃は避けて下さい。」と連絡が来る。病室で静養するご本人はいつも当法人の【ブログ】【インスタグラム】を見るのが楽しみで医師や看護師の方々にも「早くデイサービスに行きたい。」と話していた、という。
今回のプラン更新時
「○○さん、形は違えども演武は出来るようになったので、次の目標、どうします?」
「そうだなぁ・・・プランはこのままでお願いして、前から考えていたんだけど・・・」と
実はさ、病気が発覚して以来、妻と旅行に行っていなんだよね。コロナもあったからちょうど言い訳には良かったけど。と話される。旅行と聞いて思い当たる節があった。「もしかして、北海道・・・ですか?」と「そう、娘のところに行こうと思うんだけどね。」おぉ、奥さん、喜ぶんじゃないですか?
「いや、ビックリさせたいんだよね。だから、まだ黙っててほしいんだよね。」え?な、内緒ですか?
「そう、特に娘にはね。突然じゃないけど、何となく行けると思うんだよね。」と話される。生活相談員・機能訓練指導員を交えて‘打ち合わせ’
空港はバリアフリー化している、駅も比較的バリアフリー化、介助には理解ある。あとは体力。体力が問題ですね。と‘目標’が明確に決まる。長距離の移動。空路、陸路にしても負担はある。その為の体力づくりが秘かにはじまった。今年の秋口ぐらいには・・・そう思って努力されてきた。
処方変更
受診し処方が変更になった。その後、体調不良が続いた事から再受診。
そのまま入院となった。
入院した時も連携室からは’以前の薬が合わなくなっている様で、調整するので1ヵ月ぐらいかな?’と話があった。だから、この時は’こんな事’になるとは想像だにしなかった。
入院になって数日後、病院から「コロナに感染してしまい、主病の治療が出来なくなってしまい・・・(入院が)長引くかもしれません。」とお話があった。
ようやくコロナ病棟から離脱する時「すみません。コロナ療養中、他の治療が出来なくて長期入院になるかも知れません。」と告げられた。聞けば主病が進行してしまった、との事
青天の霹靂だった。
間もなく奥様より連絡が入り転院のお話がだった。その先を聞いた時、目の前が真っ暗になった。失礼ですが復活の期待が打ち砕かれた瞬間でした。
奥様とお会いし忌憚なくお気持ちをお聞きしました。奥様は自責の念に苛まされいました。慰めかもしれませんがご本人の'意向’をお伝えさせていただいた。その後、ご本人の奥様へのお気持ちが分かるものが出てきた。自己満足かも知れませんが、お伝えする事が出来た。
転院先が決まりその先も決まった。区分変更申請も済み、次のケアマネージャーへ
これにより、当職の役目はもちろん、上籠谷デイサービス’レザンテラス’もその役目が終わった。驚きと落胆はあったが、お姿をみていないので’ひょっこり戻ってくるんじゃない?’と淡い期待を持っていました。自画自賛じゃありませんが、ご本人がご利用いただいた事で上籠谷デイサービス’レザンテラス’の人気を担ったご利用者だと思いますし、スタッフもご本人の無理難題に「どうしたら出来るかな?」と前向きに捉えてくれました。すべてが順風満帆だった訳ではありません。が、利用者様はみています。スタッフが前向きに考えた・取り組んだ末での結論に対して怒ることはもちろん文句さえ言われた事はありません。むしろ「無理無茶言って悪かったな。」と・・・
転院、ご自宅に比較的近くの病院に転院する事が出来てホッとした矢先だった。奥様からの報を受けた。受け入れなきゃ・・・とは思う。今も上籠谷デイサービス’レザンテラス’のプラットホーム下にはご本人の【道具】が置かれている。武道の心得があるものならばその道具に魂がある事を知っているであろう。それらを見るたびに報を受けた今でも「いやぁ、参ったよ。明日から行くから迎えに来てくれ」と連絡がある様な気がして・・・います。